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monthly panda back issue
「今、“ソーラン節”を唄いながら」   2005年10月


1969年秋、
早稲田大学に程近い小ぎれいなアパートの部屋に
神部くんは僕を招いてくれた。
香りのいい紅茶を淹れてくれた後、
おもむろに2枚のドーナツ盤を取り出して言った。
「山田くん、これ聴いとくと良いよ」
僕の記念すべきシュリークスの始まりは、
赤い鳥の“竹田の子守唄”とオフコースの“群衆の中で”を
聴くことだった。
神部くんの掲げた目標へ、シュリークスが到達するには
練習を重ねるしかなかった。
喫茶店「エース」の前に集合しては、
誰はばかることなく、神部くんは12弦ギターを、
所くんは繊細なリードギターを、
そして僕はウッドベースを、かき鳴らしていた。
早稲田大学フォークソングソサィエティーの
エース格「ザ・リガニーズ」の練習なんて
めったに、見かけたことが無かったし、
ライバル「ジ・アマリーズ」は陣山くんの
「はい、今日はここまでにしとこ」を合図に
田口くん、坪野くんがニコッと笑って、
早々とギターをケースにしまう姿が羨ましかった。
雨の日は商学部地下の部室、
日が暮れると高円寺の僕のアパートの部屋が
練習場所になる。
スバルR2の屋根では車の幅をはみ出し
括られたウッドベースが揺れていた。
2000年春、イルカから、思いがけないプレゼントが届いた。
それは、30年前、女子美術大学学園祭での
僕らシュリークスのライブテープだった。
日本の歌を得意としていたシュリークスは
“もずが枯れ木で”“ソーラン節”“からめ節”
“島原地方の子守唄”“真白き富士の嶺”などを
レパートリーにしていた。
テープから聴こえてきた、
透き通るような神部くんのソロボーカルと、
所くんと僕の息の合ったハーモニーと演奏は、
ラジカセのラフな録音とは思えないほどの迫力と繊細さで迫ってきた。
紛れも無く、練習に明け暮れたあの日々が、結実していた。

 
 
 
 
 
9月 10月 11月
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