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●アマチュア時代 |
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| 1962年4月 | ヘレン・シャピロの「悲しき片想い」でポピュラー音楽に目覚める。 |
| 1966年3月 | 日本TV報道局の早朝アルバイト。 大学の先輩・福留氏(現在TBS「ブロードキャスター」の司会)の紹介。 その時、「おはようこどもショー」にロバの着ぐるみで 出演していた愛川欽也氏と日テレの食堂で朝ごはんを食べる。 若かりし徳光アナウンサー、小林完吾アナウンサー等の アシスタントとして、新聞の切り抜き、牛乳、ニュース原稿等を運ぶ。 ここで同じバイト仲間の神部和夫(イルカのご主人)に誘われて「シュリークス」のメンバーとなり、 早稲田のフォークソング・クラブに入部。 |
| 1968年12月 | 猫の常富、内山はリガニーズ、田口はアマリーズ、 パンダはシュリークスとカレッジポップスの花開く。 |
| 1969年4月 | レコード界へのデビュー曲は「社会学入門」。 オリコンにくいこめず、無念の涙。 |
| 1970年3月 | 明治大学工学部工業化学科卒業、両親喜ぶ。 |
| 1970年4月 | アマチュアフォークに疲れているとき 「酔いどれかぐや姫」の王者、南こうせつと出会い、 大いに意気投合。 |
| 1970年8月 | 「ヤング・ジャパン」細川健を団長とする、アメリカ・カナダ・メキシコ・ハワイの海外コンサートツアーに出発。 加藤和彦、ミカ、北山修、その頃のロックキャンディーズの谷村新司と大活躍。我らシュリ−クスは、得意のコ−ラスを駆使した日本民謡で 日系一世、二世に大絶賛される。 ニューヨークのシエイスタジアムでの「ポール・サイモン、CCR、ジャニスジョプリン」等のコンサートに大感激。入場券は$5、$8、$10、とあるものの、 全部自由席で好きな所に勝手にどうぞ状態。 朝の10時から夜10時まで、出演ア−テイストは錚々たるメンバ−本当にすごかった。 |
| 1970年10月 | FM東京「ヤングハウス80」のDJで活躍。 後にこの時の熱心なリスナ−にあの遠藤ケンジがいた事を知る。 |
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